「父さま!」


 少年特有の高い声が、深い茶色の髪をした男性をそう呼んだ。振り返る綺麗な青い目をした彼の姿はどこか「彼」に似ていて。その傍らに寄り添うように立つ美しい金髪の儚げな女性。優しそうに笑う綺麗な顔が名を呼ぶ。「クラピカ」―――あぁ、クラピカは、母親似なんだ。




***29輪***




 鮮やかに晴れ渡った空。響く笑い声と歓声。駆けていく鹿を追い、転がった両手で掴んだ若い強い香りの草。土にまみれて流した涙。

 きらめく水飛沫と焼けた肌、ひとつふたつと数えた夜空に瞬く星座。眠りにつくそのときに、撫でてくれた優しい手。

 豊穣の実りを喜んだ祭事、かじかむ指を包んだ大きくて力強い両手、真っ白に覆われ眠りにつく村の灯り。パチパチと音を立て弾けた暖炉の炎。いつかは大きくなって、村の少女を娶り変化のない日常を続けると思っていた。



 そんな日々は、唐突に壊された。




「クラピカ」
「・・・あぁ、すまない。バショウ」
「いいけどよ。あの姉ちゃん、一体何者だ?―――最初はクラピカの女かと」


 色気のある関係ではないことはすぐに知れ渡ったらしい。バショウは怪訝な顔で私を見た。彼女の身のこなしや纏うオーラは確かに本物で、念を習得した後は私もそのオーラの力強さを目の当たりにした。ゆらりとどこか危なげな、爆発寸前の花火のような。


「友人だ」
「・・・友人、ねぇ」


 友人。今や雇用と被雇用の関係になってしまったけれど。後悔は、していなかった。私の中の全てを彼女に託したことに間違いは無いと自負はしている。

 情報屋であるに私の記憶の全てを渡すことは大きなリスクと背中合わせだ。『情報屋 零』、調べた限りすご腕であることは分かったものの、対価と引き換えになにもかもを売る。それが何であっても。つまり私の記憶が売買される可能性も決して低いものではないのだ。

 自分の情報は、流れないほうが良いに決まっている。どれだけ奥の手を持っていられるか、逆を言えば相手の情報をいかに握っているかが生死の分かれ目となるのだから。


「しっかし、すげぇオーラの女だったな。それ以外じゃイイ女だったっていうのによ」


 惜しいもんだぜ、とバショウは言う。確かにあの子を知らない人間であれば、そう思うのも無理はない。銀がかった青い髪、底の知れない深い海の瞳。細い腰、丸い肩。―――そんな女性らしい見た目とは裏腹の、烈火のようなオーラ。いつ噛みつかれてもおかしくはない。


「・・・行こう、バショウ。ボスがお呼びだ」
「ふん、そうだな」




*





 あたしは母を知らない。父も知らない。姉も、兄も、記憶にない。覚えているのは繰り返し見る、燃え盛る炎の中抱きしめる腕だけだ。


「だからか。なんだろう・・・現実感無い」


 クラピカの記憶をなぞり、あたしは天井を見上げながらひとつため息をついた。まるでお粗末なホームドラマ。見事に映画のなかのような幼少期。そしてそれをぶち壊した旅団への憎悪。憎悪。憎悪。


「感情移入したらどうしようかと思ったけど」


 あたしは、そこまで人情に厚い人間ではなかったらしい。んなことは知っていたけれど。

 覚えている腕の感触以外、あたしの中には「家族」の記憶など無い。叔母の家に貰われてから愛情らしい愛情など受けなかったうえに、5歳のとき彼らは死んでしまったし、そこから従兄弟にも会っていない。家族と呼べるものは、強いて言うなら師匠とカイト兄くらいだ。


―――あんたが死ねばお姉様は死ななかったのに!死ななかったのに!!

―――あのクズに似るくらいならお姉様に似なさいよ!

―――なんであんたが生きてるのよ!お姉様を返して!返して!!


 5歳で親族と呼べるような人間は失ってしまったくせに、無駄に記憶力が良かったらしくあたしは叔母から受けた虐待と呼べるほどの扱いを覚えている。異常愛と呼べるほどにあたしの母を慕っていた叔母、ほとんど家に帰ってこない叔父、庇ってくれた6つ年上の従兄弟。そういえば従兄弟も養子だった。


―――おいで、。母さんは来ないよ


 綺麗な金髪の優しい従兄弟。叔母の手から何度も逃がしてくれた。けれど、頭が良くてどこか得体のしれないところがあった。あのころは思いもしなかったけれど、彼はいつも遠くを見ていたような気がする。どうしてあんなに優しくしてくれたんだろうか。

 決定的な契機は、5歳のころ。正確な日付などは覚えてないけれど、確か肌寒くなってきたあたりだったような気がする。なにかで気を失っていたらしく、あたしの記憶は点々と紅く染まった絨毯の上で目を覚ましたところから始まる。従兄弟がそっとあたしを抱き起こして。もう大丈夫だからと―――そしてその背中におぶわれて、家を出たのだ。




 後から知ったのだ。おそらくその日、叔母夫婦が交通事故で死んだことを。




 それを聞いてあたしはどう思った?そう、ホッとしたのだ。嬉しかったのだ。従兄弟から彼らが死んだことを聞いて(まだ幼かったからかなり柔らかい表現にされていたような気がするけれど)笑った。そしてショックだった。暴行を受けていたとはいえ、親族の死に笑った自分がショックだった。そう、まだたったの5歳だったのに。


 ―――、オレらと一緒においでよ


 よくわからないまま優しい従兄弟についていって、数人の子供たちと仲良くなった。もうほとんど覚えてないけれど、女の子も何人かいたような気がする。――――そして翌年、6歳のころ。師匠とカイト兄に拾われた。

 これは師匠に聞いた話だけれども、流星街のある路地からふらふらと現れて、通りすぎようとしたとことでバッタリと倒れてしまったらしい。やり過ごせなかったカイト兄が抱き起こすとかなりの高熱。しかもそれが、カイト兄がかつて罹り師匠に助けてもらったことのある病気。そんな偶然から、ただのスラムでのたれ死ぬだけだったあたしは、希代のプロハンターの弟子となったのだ。


「はっはっは!運がいいよなぁ、お前は!!オレはほっとく気だったからな!カイトに感謝しろ、カイトに」
「ジンさんが真っ先に駆け寄っただろ、オレは覚えてますよ」
「黙ってろクソガキ」


 自然と彼らに憧れた。自分の力で生きていこうと決めた。そのときは高熱の影響で一時的に記憶を失っていて、従兄弟のことやその友人たちのことを思い出したのは1年近く経っていた、らしい。流星街に戻っても従兄弟たちに会えるなんて保障は無く、結局師匠たちのもとにいることを決めたのだった。

 自給自足が原則だったから、森の中を駆ける日もジンさんの仕事に付き合う日も、自分でご飯が調達できなきゃ当然その日はメシ抜きだった。(こっそりとカイト兄が恵んでくれることは多かったけど)成長するうちにいろんなところに置き去りにされるようになり、次第と自分からアンダーグラウンドの仕事を始めるようになった。最初は細々と、そしていつのまにか適当につけた名前が広まり、『零』の活動が始まる。


「その能力でジンさん見つけてくれよ、
「自分の力で見つけなきゃ駄目だよカイト兄。それに見つけるも何も、あたしまだ師匠と一緒にいるはずだから。多分。置いていかれてなきゃ多分。きっと。多分」
「お前もそろそろ最終試験やられるぞ?」
「やだなぁカイト兄、あたしまだ14歳だよ?」
「年齢を気にすると思うか、あのジンさんが」
「・・・・・・・・」


 結局、森の中に放置されたのは今年。17歳になってからだったけれど。




 来週だ。来週、あたしは従兄弟に会う。
 クロロから、旅団全員に会ってほしいと依頼があった。『情報屋 零』として、だ。あたし自身の情報も漏れるけれども全員のデータを手に入れられるまたとない機会だ。ちなみに、クロロ以外の旅団メンバーはあたしの本名は知らない。『零』とだけ呼ばれる。そして、まだ会ったことのない旅団員の中に、あたしの従兄弟がいる。
 実に12年ぶりだ。きっと、と会うだなんて思ってはいない。もしかしたら、覚えてくれていないかもしれない。





 だけど、会いたかった。きっと誰よりも。
 ―――9月1日が、やってくる。



















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120216