「ぶえくしょ!ふぇくしょ!うえっくしょっちくしょい!!」
「・・・・・・親父クサイよ◆」
「ほっとけ!ふぇっくし!」
「大丈夫?」
「う、うん、っしょい!!」


 あ――――――くそ。風邪が悪化した。





***8輪***



 大量の水に押し流され、今、あたしたちは・・・なんというか。一種の広場みたいな所にいる。水は引いた。どこに引いたかって?流されてる途中にイルミが力任せに開けた横穴にほとんど流れて行ったよ。悲鳴が聞こえたけど、あたしはしっかり聞かなかったことにした。運も大事だよ。運も。

 あたしたちは当然だけれど全身ぐっしょりと濡れて、大分ひどい状況にあった。それでも外れなかった手錠のおかげで動きにくいことこのうえない。じゃらりと鎖が音を立てる。サビちゃうんじゃないのか、これ。ヒソカはピエロメイクがすっかりとれて、ただの美青年だ。普通だ。


「ねえ。乾かしてよ」
「ヤだ。」
「いいじゃん。やってよ」
「念は使わないって決めてんの。諦めろ」
「え――――。」


 あんまり残念そうには見えないけど残念そうに(なんかややこしいな)イルミが言う。あたしは一度決めたことはよほどのことがない限りそれを覆すことはない。そのことは彼は十分に知っている。だから、それ以上はしつこく迫られることはなかった。けどイルミの言葉を聞いて、ヒソカがすかさず変な笑みを浮かべる。


の念はそんなことができるのかい◆」
「そうだよ」
「イルミが答えんの?・・・いや別にいいよ」


 すかさず答えたイルミに対して思わず口出しすればなんとも言い難い視線が降り注ぐ。・・・えっと、なんでもないですすみませんでした。


「なんでキミたちはそんなに仲が良いんだい?」
「あれ?言ってなかったっけ?」


 ヒソカが当然の疑問を口にし、イルミはすっとボケてそう言った。さすがに呆れた風にヒソカは肯定する。そしてイルミがあたしを見る。いや別に、隠すようなことでもないから別にいいんだけど・・・。あたしはイルミ、イルミはあたしを互いに指さしてこう言った。


「元カレ」
「元カノ」

「・・・・・・◇」


 ヒソカの顔が固まった。なんかすごく面白いものを見た。





***





「・・・んー?なんか、おかしい?」


 ひやりとした廊下に、いつもの感覚とは全く違う別の感覚があった。つん、と生臭さが鼻をつく。眉をひそめて、気配を消して前に進んだ。依頼にあった通りのドアを開けて、そこからなだれ落ちてきた死体に思わず足をとめる。
 

「・・・げー。死んでる。うっそぉ。マジかー」


 死後数分だ。まだ生気の残るその姿に嫌悪感を覚えつつ周囲を見回すと、なるほど死体の山だ。警備員だろう、己の不運を呪いながら死んでいったのか、ほとんどの顔は苦渋に満ちた表情だった。他人事のようにそれを眺めて、あたしはふと思い立つ。まさか。

 慌てて床を蹴ってドアを蹴飛ばす。飛び込んだそこに、また死体。その奥に立つ黒い影。その影は豚のような体型の人物の後ろに静かにたたずむ。それを目にした瞬間、あたしは慌てて叫んだ。


「のーっ!!ストップストップ殺すの待った――――!!!」


 あたしの悲鳴を華麗にスルーして、影はトン、と綺麗に手刀を落とした。悲鳴も上げることができずに崩れ落ちる、あたしの依頼人。どざり、と重い音をたてた。鮮血が床を染める。影が、くるりとあたしの方を向いたのを感じる。次の瞬間、音もなく飛んできた小さな針。すかさず叩き落とすと、影はそのまま普通に窓の方へとスタスタ歩いた。月光がその姿を映し出す。


「おかしいな。みんな殺したはずなんだけど」
「生憎だけどあたしは今来たところなんでね」
「そっか。じゃあ、君も」




「死ぬ?」




「ッ!!」


 一瞬で迫ってきた綺麗な顔の青年は、恐ろしい速度であたしの心臓に手を伸ばした。すかさず膝から床に落ちて青年の軸足を薙いだ。油断する間もなく脳天めがけて肘鉄が落ちてきて、ついた両手で床を思い切り押して飛ぶ。バク転の応用みたいなものだ。


「ちょっと待った無理無理、戦う気はありません!!」
「そうなの?」
「トボけた顔してんじゃねえよ!!あたしゃここの家のモンじゃないって!」
「そうだね」
「知ってんのかよ!!」


 少し距離を置いて叫んだ。表情の読めない顔は厄介だけれど、言葉が通じないわけではないらしい。戦闘解除の合図のつもりで両手を上げる。そうするとようやく青年も戦闘態勢を崩した。ようやくホッとしてあたしは肩の力を抜く。殺気が消えた。


「・・・ところでこの人なんだけど」
「うん」
「やっぱ死んでる?」
「トドメは刺したからね」
「のあああああ!!」

 
 一縷の望みをかけて聞いてみたけれど、あっさりと返された答えにあたしは頭を抱えた。そんな。めっちゃ頑張ったのに。報酬、いつもより高かったのに。思わず涙が浮かんでくるのを感じながら、あたしは思い切り目の前の青年を睨んだ。


「報酬払えよ」
「なんで?」
「あんたがあたしの依頼人殺したからだ―――――――!!!」


 喚く。喚かずにはいられない。今月のあたしの生活費。どうしてくれる。師匠が出してくれるなどとは思ってはいけない。あの人、大金持ちなくせにモットーは「自分のことは自分でやれ☆自給自足こそ座右の銘」だから。


「くっそー・・・ゾルディックに暗殺依頼が行ってたなんて迂闊だった・・・ああ・・・あたしの1000万ジェニー・・・」
「オレも依頼だから。諦めてよ」


 諦めるも何も死んじまってるじゃんかよ。未練がましく依頼人の傍らに座って脈を診る。・・・首がくっついてないからとったって意味ないけど。こうまで分かりやすい死に方だといっそすがすがしい。すがすがしいけど泣けてくる。あたしの1000万ジェニー・・・。

 恨みを込めて青年を見る。サラサラの長い黒髪、綺麗だけど感情の読めない顔、長身。頭の中のデータと繋がる。


「・・・イルミ・ゾルディック、だね」
「へえ。知ってるんだ」
「有名人くらいは」
「これでも誰も見たことない幻の暗殺一家、って言われてるらしいんだけどね」
「でも実際は別に隠したりしてないじゃん」


 喚くのもなんだか疲れて、あたしは血で汚れていない場所に座り込むつもりで周りを見回す。けれどほぼ床一面が真っ赤に染まっていて、仕方なくあたしは、無駄に豪華な依頼人の机の上に腰かけた。気のせいかイルミの瞳が、面白そうな色で光るのを見た。


「ちなみに何の依頼?」
「・・・・・・一応守秘義務ってものがー」
「いいじゃん。死んでるし」


 ・・・確かに。


 ひとつ溜息をついて、あたしは髪をかき上げる。


「情報の交換取引だよ。この豚のライバル企業の内部調査と、いわゆるアングラ系の非合法取引。ここまではまだ普通なんだけど、国の中枢組織にも侵入しろとか言われてね。大変だったのに」
「情報?」
「ああ、うん。あたし駆け出しの情報屋なの。まだ経験も実績も浅いけどね。数少ない大仕事だったのに、まさかこんなことになるとはねー」


 仕方ないか。そう言ってあたしは乾いた笑いを唇に乗せた。あー、切ない。静かに聞いていたイルミは、ちょっとしてから何事か思いついた、という風に首をかしげる。


「じゃあ雇ってあげるよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?」
「雇うよ。ちょうど次の暗殺依頼について調べたいことがあってさ。ああ、もちろん他に情報屋はいるんだけど。でも今回はオレが君の依頼人殺しちゃった、ということで雇ってあげるよ」
「―――ほんと、に?」


 思いがけない言葉に思わず声が裏返る。うん、とうなずくのは目の前にたつ青年で、そんな時にまで相変わらず感情が読めない。本気で言ってるんだか冗談なんだかもいまいちよくわからない。けど、もし本当に、本当に雇ってくれるなら、こんなに嬉しいことはない。


「―――よろしくお願いします」
「うん。よろしくね」


 思考時間はコンマ数秒、あたしはすぐに頭を下げていた。それに合わせて頭を下げたイルミは、ふと顔をあげてああでも、と続けた。


「役立たずだったら殺すよ?」
「・・・・・・はい」





***




 ぽたぽたと乾ききっていない服から水をたらしながら歩く。あたしたちは広場にあった横道から先に進んでいた。話し終わって息をつく。


「はい、コレが出会い。一年前かな」
「・・・・・・それで何で付き合うことになったんだい◆」


 それがあたしにもよくわからないんだ。あの後告げられた依頼をこなして持って行ったら、案外イルミの合格圏内だったらしくあっさりと認められてイルミ・ゾルディックお抱えの情報屋に。コネでイルミのお父さんやお爺ちゃんからも依頼が舞い込むようになって、現在はなかなか商売も安定している。≪零≫と言えばそれなりに名の知れた情報屋だ。


「なに言ってんの。あそこまで突き詰めて調べてきたのはくらいだよ」
「あ、そう?」
「なんで暗殺の下調べなのにターゲットのホクロの数とか調べてくるの。意味が分からないだろ」
「情報は多いほうがいいじゃんー」
「ホクロはどうでもいいよ」


 確かにそうかもしれないがー。もしかしたらホクロに重大な秘密があるかもしれないじゃん。ないかもしれないけど。ふと見上げるとイルミと目が合った。相変わらず綺麗な顔だ。感情が読めないのも相変わらずだけれど、付き合ううちにちょっとずつ小さな表情の変化も読み取れるようになった。そして今の顔は、なんだか上機嫌なようで。思わずあたしも笑顔を返す。


「イルミー」
「なに、
「なんで付き合ったんだっけ」
「・・・覚えてないの?」
「うん」


 さすがに固まったらしい。ごめんなさい。


「オレが告ったんだよ」
「・・・・・・・・・・・ああ!!」
って本当に無神経だよね」
「ゴメンナサイ」


 だって日常会話中にサラッと「付き合う?」「んー、いいよぉー」みたいな会話だったはずだ。ていうかアレは告ったといえるのか。首をかしげていると、いきなりイルミが立ち止まった。


「どうする?コレ」


 その手が指さしたのは、3つの扉だった。










 











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090318