!」


 ああ、もう。なんで。


「おかえり!」
「遅ェんだよ帰ってくんの!」
「これとこれとこれ、休んでた間の授業のノートだよ」
「あの、えっと、待ってた・・・よっ」




「・・・うん。ただいま」




 お前らの方が、泣きそうなんだよ。





 89.





 数週間ぶりに帰ってきたホグワーツはいつもと変わらなくて、オレは何故だか無性に切なくなった。走り回る生徒たち、先生たちの声、おしゃべりする絵画の貴婦人達、あいさつを交わすゴースト達。なにも変わらない。

 だけど見える景色から少しだけ色が消えたみたいに、頭の中がしんと冷え切っている。通りすぎる全てがぼろぼろと視界からこぼれ落ちていくようで。ああ、まだなにもオレの中では終わっていないんだと実感する。




 あのクリスマスの日から、オレのなかで時間は止まったままだ。




、大丈夫?」
「っ、あ・・・リーマス」
「顔色、悪いよ」


 無理もないけど、とリーマスはオレの手を握った。とくん、とくん、と脈打つ鼓動が伝わる。


「手が冷たいなあ、ったら。いつからここにいたの?」
「え・・・わかんない」
「もー。探してたんだよ?授業が終わったと思ったらいなくなっちゃったから」
「・・・そーだっけ?」


 ほら、そっちの手も貸して?と言うとリーマスは自分の手でオレの両手を包みこむ。彼の手はあったかくて、いつの間にかオレの両手をすっぽり包めるくらいまで大きくなっていた。ぼんやりとリーマスの伏せた瞼を眺めた。まつ毛長い。女子か。オレより長いんじゃないのこいつ。


「マフラーもコートも着ないで、なんで湖にいるのさ。風邪引くよ?」
「んー・・・?うん、確かに」


 そういやオレなんでここにいるんだっけ。授業が終わって、シリウスとジェームズといつもみたいに馬鹿話して笑って。片づけの遅いピーターを待って、リーマスの差し出すチョコレートを受け取って口に入れて。そのまま談話室に戻るはずだったのに。


「ああ・・・そっか」




―――あいつだろ?の生き残り




 その言葉が聞こえた瞬間、飛びだしたシリウス。その背中を見送ったあとの、記憶が無い。どうせスリザリンの嫌がらせなんだろうけど、ああ。弱い自分に腹が立つ。


「ごめん、心配かけた」
「本当だよ、全く。さぁ戻ろう、
「・・・うん」

 
 リーマスに引かれて立ち上がる。すっかり冷え切った体にいま気付いた。雪は降ってないけれど積もったままで、氷の張った湖に制服とローブだけでいるなんてほんとに狂気の沙汰だ。なにやってんだろオレ。


「帰ろう、ね。


 オレの手を引くリーマスは優しく笑った。




*




 晴れ渡る青空のように、真夏の濃い鮮やかな空の様に。あの子の瞳はいつでも僕を映してくるくる表情を変えた。きらきらと輝く、太陽の光をひとつに集めたような綺麗な綺麗な髪をさらさらと風に流す。「セブ!」と僕の名前を呼んで鮮やかに笑うあの子は、本当に、どう形容しても、太陽の様な少女なのだ。・・・たとえ女の子らしさの欠片もなくても。

 そんなが、すとんと色を失ってしまったように感じたのだ。無理もない、家族をいっぺんに失ったのでは、そうなってしまうのも道理だろう。リーマス・ルーピンに手を引かれていくのを見ながら、僕は沈黙したまま眉を寄せた。


『君がの最初の友達、セブルスくんだろう?』


 娘にそっくりな髪色と、海色の瞳をしたウォルス・はそう言って豪快に笑った。綺麗な長い黒髪の、と同じ眼の色をした母親も笑いながら夕食の準備をする。新婚夫婦は幸せそうに寄り添って笑っていた。

 これが、幸せな家庭か、と。

 まるで絵に描いたように幸せそうな家庭で。不機嫌そうな母の怒鳴り声と、冷たい父の投げる蔑視としか体験したことのない僕にとっては、まるで別世界の様で。羨ましいとすら感じないほどに、あり得ない世界で。


『なにやってんだよセブ!お前もこっち来いよ!』


 笑いながら手を引くが眩しくて。ああ、この子はこうやって育ってきたのだと、思い知った。




 だからこそあの子が全てを失うところを見てみたかった。




 そう感じたことに吐き気を覚えるほどに自己嫌悪をした。そうして僕はあの子の隣にいてはいけないのだと。所詮は、生きる世界が違うのだと。

 こんなに汚くて醜くて人を怨むことしか出来ない僕は。
――――光のもとにいる資格などない。


 呆然と湖のほとりで座り込むに声をかけようとして出来なかった。
 なんと声をかければいいのかわからなかった。
 一度でも彼女の不幸を願ってしまった僕にかけられる言葉など無くて。


「・・・馬鹿馬鹿しい」


 さっと僕は踵を返す。そろそろ城へ戻ろう。誰もいなくなった湖の前にいつまでもいる必要などは無い。




 例えば。
 「こうなること」を事前に知っていれば。
 動きだした暗闇の向こうにもっと深く踏み込んでいれば。
 あの子から離れることを恐れずに、引きずり込もうと伸ばされた手を拒むことをしていなければ。

 この惨劇は防げたのだろうか。









 大切なものを守るために、僕はどうすればよかったのだろう。





















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120217