「心配かけて、悪かった」


 両親と妹が気をきかせていなくなった自室で、そっとオレは愛しい妻のさらさらの髪を撫でた。気丈にも笑顔を保っていたアリアの表情が崩れて、オリーブ色のひとみが大きく揺れる。ああ、オレたちの間に生まれる子は、この瞳を継いでいるのだろうか。それとも。


「・・・・・・・ばかっ・・・・・・」


 途端に泣きじゃくるアリアを抱き寄せて、オレはやっと自分が「生きている」ことに実感を抱くのだった。また、ここに帰ってくることが、出来たのだ、と。





 74.





 カーター氏の言葉に、あれから母さんと父さんはすぐに動いた。連絡を得た魔法省はすぐにその場に救援を派遣したという。子供だと言われて、オレには詳しいことは教えてくれなかったけれど。

 アオト兄は「闇祓い」だ。その職場が襲撃された。カーター氏も闇祓いで、応戦中の隙を見て応援を呼びに来たらしい。その指示をしたのが、


「アオト・だ」
「・・・アオトが?」
「『あんたが一番ケガしてる、出来ることをやれ』と言ってね。暖炉に押し込まれてしまったよ」
「・・・・・・あのひとが」
「いきなりのことだったからね。どこに飛ばされるかと思えば彼の自宅とは。全く、仮にも上司を突き飛ばすとはね」


 複雑な表情をするアリアさんに、カーター氏は安心させるように笑う。それから数十分後、救援に行った魔法省派遣の魔法使いたちが家にやってきて――・・・・ここから先は、なんだかいろいろめまぐるしくてあまり覚えていない。オレは終始呆然としていたように思う。ただ、確かなのは、翌朝にはあちこちを怪我はしていたものの、アオト兄が無事帰ってきたということだけだ。


「・・・ということで、しばらくは家族と一緒にいようと思うので、ジェームズの家には行けない・・・と」


 そっとオレはペンを置いて文章を確かめた。正直、ゾっとした。「闇の勢力が力を増している」ジェームズが2年生の時に言った言葉。その言葉を肌で実感する日が来るとは思わなかった。毎日流れてるニュースが段々と暗いものになっていることも、魔法界を漂う空気が淀んできているのも、気付かなかった。いや、気付かないふりをしていた。

 だけど。怖くなった。突然家族がいなくなるって、初めて想像した。


「・・・・・・ごめん、みんな」


 4人のことは大好きだ。だけど、オレは。

 きっとごめんなんて言ったら、あいつらは、「なに馬鹿言ってんだ」って言って笑うだろう。謝るなよって言って笑うんだろう。「どうして来ないんだ」なんて言わないだろうなあ。うん。わかってるよ。


「アオト兄が無事でよかった。うん」


 独り言で呟いて、オレはフクロウに手紙を託して放ち、窓を閉じた。





*




から手紙だ!」


 ジェームズがフクロウから受け取って開いた手紙。その差出人はいつもいっしょにいるはずの少女だ。ちょっと子供っぽい、だけど決して読みにくくはない筆跡は、彼女の明るくて人懐っこい性質が出ている様で、少しあの子の笑顔が恋しくなった。「リーマス、早くしなよ」という声に僕は飲みかけのココアをテーブルに置いて席を立つ。

 闇祓いの本部が襲撃された。そのニュースはすぐに新聞にのって魔法界を駆け廻った。ジェームズの父親も魔法省勤務だったから、ある程度までは僕たちに語って聞かせてくれた。シリウスが珍しく深刻な顔をして、ピーターは怯えるような目をしていたことを覚えている。


「アオト・氏の名前も新聞に出ていたよ」
「ありがとう、父さん」


 ジェームズの父親がくれた新聞をみんなで呼んだ。ちょうど部署に居合わせた15人の闇祓い。死亡者は3人。その文だけでうっすらと背筋が寒くなる。だけど、とりあえずその3人の中にアオトさんの名前は無くて、少し胸をなでおろした。


「ああ、ここだ。重傷者に・・・ホラ、アオトさんの名前だ。でもよかった、命に別条はないみたいだね」
「マジか!?・・・よかったっ」


 ジェームズがいち早く記事のなかに名前を見つけた。重傷者。だけど大事は無いみたいで本当に良かった。きっとも心配しているんだろうな。


「けど・・・ひどい事件だね」


 襲撃者は逃してしまったらしい。そもそも闇祓いなんて魔法使いのエリート集団が襲撃されて死亡者が出てかつ犯人は捕まえられなかったってどういう事態なんだろう。


「前代未聞だって。ああでも、手がかりはあったみたいだね」
「手がかり?」
「ああ、これか、ジェームズ。記事のこの部分・・・口から蛇が出ているドクロのマークが上空に・・・って」


 写真が載っている。黒々と浮かび、光るそのドクロマークに背筋がぞっとしたのは、ついこないだのことだ。ジェームズの急かす声に、僕はそのシンプルな便箋をのぞきこむ。



―――親愛なるムーニー、パッドフット、ワームテール、プロングズへ

―――お誘いありがとう。すげー行きたかったんだけど、ごめん。今回は遠慮させて貰うね、お泊り。オレ、もう準備もすっかり終わってたんだけどさ。


「やっぱ、あいつ来ねーんだな」
「仕方ないよ、シリウス」


―――もう知ってるだろ?大きなニュースになっちゃったし。アオト兄がさ、怪我したんだ。


 事件のことには深く触れていないその文章にすこし胸が痛む。


―――命に別条はないよ。ああ、えっと、今アオト兄が口出ししてきたから少し詳しく書くね―――今書くなって言われたから敢えて書くんだけどさ―――左わき腹の肉が抉られてるのと右足・あばら2、3本の骨折。小さな傷はいろんなとこについてるよ。本人曰く全然大したことないから心配しないでだってさ。悪質な呪いもかかってないし。


「うぇ・・・」
「それ大したことなくないか・・・」
「ピーター、あんまり想像しないほうがいいよ、吐かないでね」
「う、うん」


―――まあとにかく、アリアさんはお腹に赤ちゃんいるし、父さんも母さんも仕事あるし、アオト兄はこんなんだし(ここで文字が大きくずれてる)ごめん今アタマ叩かれて手がぶれた。しばらくは家族と一緒にいようと思う。だから、行けない。


 本当に済まなそうな顔をしているが想像出来た。それはみんな同じようで、妙に全員の眉間にしわがよる。代表するようにシリウスが悪態をついた。


「ったく、そんなん怒るわけねーのに!水臭ェ」


 本当にね、とジェームズが宥めながら再び文面に視線を落とす。


―――それじゃあ新学期に。9月を楽しみにしてる。 ソーラこと、より。


「・・・・・・んん」
がいなくて寂しいのは仕方ないよ、パッドフット」
「あ!?ンなこと思ってねーよ、リーマス!」


 シリウスが顔を赤くして噛みつくけれど僕はそれをスルーして、少し考えるとカバンの中から筆記用具を出す。シンクロするようにジェームズは羊皮紙を出してきた。しっかりした便箋を持っていないところは、やっぱり僕らだなぁ、なんて。だって便箋なんてしっかり持っているタイプじゃないから、どうせ誰かにもらったんだろうけど。


「返事書こうか。ね」


 結局それから全員が書き終わるのに2時間かかって、随分長いことお待たせしたフクロウに手紙を託して(さすがにイライラしてきたフクロウにはとりあえず沢山エサをあげておいた)、青い空に力強く羽ばたいていくのを並んで見送った。ああ、こんなに9月が待ち遠しくなったことなんて、なかった。
















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111103