「ああいうこと、いろんな女の子に言ってるのよね・・・」


 遠い目をしながら、千鳥は一人寮に向かう。あれは一体無意識なのか、それともわざとなのか。どちらにしろ非常にたちが悪い。軽いため息が唇から漏れた。だけれども、ずっと誰かに言いたかったことを全て吐きだせたことに、ホッとしている自分もいた。




 52.




「5年生・・・」


 呟いた言葉は誰にも届かずに消えた。千鳥は伸びた髪を二つに分けてお下げのように結う。今年で、最後の一年だ。3年間の留学生活は遂に終わる。そもそも何故自分はここに来たのだったっけ。あまりにもめまぐるしい2年間に、感覚も麻痺してしまったようだ。


「帰ったら・・・婚約。か」


 あんなに嫌だった婚約、政略結婚も、いまでは甘んじて受け入れることができる気がした。―――例えば、リドルと結婚するくらいなら顔見知り程度の男との結婚のが数倍マシだと思える。きっと誰も理解してはくれないけれど。ある意味では心の整理をつける期間であったと思う。そしてそれが父親の狙いだったのならそれはきっと成功だった。なぜなら千鳥は確かに、自分の人生を受け入れてしまったのだから。

 ただ、唯一の心残りといえば。


(・・・あと、1年)




*




「千鳥。おいで」
「・・・リドル」


 もはや公認となってしまったこの関係。優しげな笑みとともに差し出されたリドルの手を取って、千鳥も優しく笑い返した。きっとお似合いの恋人同士に見えている自分たちが、いつだって裏で騙し合いを繰り返していることにも慣れてしまった。リドルが求めている「モノ」は、絶対に渡すわけには行かない。それだけ心に秘めて戦ってきたことも、きっと知られることはないのだろう。―――たった一人を、除いて。


「よぉ、千鳥。でもって、リドル?」
「・・・ウォルス」


 「あの日」から、何度もウォルスとは図書室で話していた。隠しはしていたものの、噂が広まるのも早くもちろんリドルにも伝わっていた。一部から「ホグワーツの2大美形を持っていった女」などと中傷されているのも千鳥は分かっていた。否定はしなかったし、仕方ないとも思っていた。そして自分はその程度で傷つくほど優しい女の子ではなかった。曲りなりにもスリザリンである。その程度、痛くはなかった。ウォルスという理解者を失って、リドルのそばにいるくらいなら。


「今度の週末、ホグズミードに一緒に行かねえ?」
「・・・ごめんなさい、私はリドルと一緒に行くの」
「というか君は、僕の目の前で千鳥を誘うなんてどういう神経をしているんだ」
「うるせェ、つーかてめェがいつでも千鳥のそばにいるからだろうが。ところで千鳥?無理しねェで一緒に行こうぜ」


 千鳥としては、一緒にいて気が楽なウォルスと行きたいのが本音である。が、さすがにこの場合はリドルと一緒に行かないわけにはいかなかった。


「やっぱりごめんなさい。リドルと行くわ」
「んー、そっか!じゃあ仕方ねェかな!・・・ところで千鳥、3日後にいつものところで、待ってる」
「・・・ええ」
「じゃーなリドル。千鳥を泣かしてみろ、ただじゃおかねェぞ」


 最後に千鳥にしか聞こえないように声を落としたウォルスの言葉を聞き取って、千鳥は薄く微笑んだ。後ろから鋭い視線を浴びせるリドルが気づいていないわけはないのだが、分かっていて泳がせる気ならばそれでも構わない。笑顔で手を振って去っていくウォルスの後ろ姿を見送ってから、千鳥はふと手を強く引っ張られて思わずよろけた。そのままリドルの腕の中に倒れる。


「!?・・・な、なに、リドル」
「ふゥん・・・君は相変わらず、あいつの前でしかそういう顔しないんだよね」
「え、ッ」


 ぐっと首元を掴まれ顎を捕えられ、親指の腹が唇をなぞる。温度を含まない瞳の色に、心臓の音が速くなる。人気のない廊下、明かりも少ない。


「君は僕の恋人だろう?」
「・・・私のことをほんの少しも愛してなんていないくせに、よくも言えるわね」
「はッ、愛しているよ?それはもう・・・殺したいくらいにはね」
「ん・・・ッ!」


 するりと長い指が頸を捕える。唇を塞がれたまま同時に段々と指の力が強くなっていく。酸素を求めて動いた指がリドルの胸元で頼りなさげに揺れた。


「は・・・ッ!!」
「全く強情だね。千鳥、君は―――それでも話す気にはならないんだろう?」
「・・・当、然」


 解放された瞬間に喉に飛び込んできた酸素で、思わず息を乱しながら千鳥はそれでも挑戦的な瞳を返した。伊達に2年間も相手をしてきたわけではない。


「千鳥。絶対に揺るがないその瞳が―――僕は愛しいよ。だから失望させるなよ・・・?」


 そう言って細める瞳は優しさからは程遠く。再び口付けるその刹那、千鳥はそれでも、と心の中で呟いた。閉じる瞼の裏に思い描くのは、金髪の、リドルとは正反対の彼の姿。なんて可笑しいのだろう。女子に平等に優しいのは彼の本質だというのに。これじゃあ彼を慕う他の女子と、自分は全く変わらないのかもしれない。自分を抱きしめるリドルの腕は、台詞や視線とは違って本当に優しい手付きだから。いまだに、わからなくなる。

 一緒にいるから。一緒にいる時間が長すぎて、どっちが本当のリドルなのか。何が自分の本当の気持なのか。分からなくなるのだ。




 まだ、今なら間に合うから。
 離れられなくなる前に――――だから早く、私をこの人から、遠ざけて。




















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