「留学、って・・・なにそれ」


 柾彦の言葉を反芻して首をかしげるその姿に、夕蒔家に仕えて長いその青年は軽い苦笑をその唇に乗せた。





 48.





「実は、前々から留学の話があったのですよ。千鳥様の通われている学園とも古くから交流のあるホグワーツという魔法魔術学校です」
「それが?」
「留学は3年間です。これは私の提案ですが、その間なら婚約を先延ばしにできますよ」
「・・・・・・あ」


 目をしばたたかせた千鳥は、そのまま柾彦を見上げた。閉め切った襖が風でかたりと音を立てる。父の放った式神がその辺で聞いていたらどうしようかと千鳥の脳裏にそんな考えが浮かんだが、それはないと思いなおした。いくら父でもそんなことをして娘の動向を見張るほど暇ではない。


「婚約自体は少なくとも本人がいなくてはできません。無理やり強行突破される可能性もなくはありませんが、さすがに留学中で明らかに千鳥様がいないのに婚約が成立したら、周囲からの評判もよくありませんし。このままでは最速で1年以内に正式婚約、という羽目になりますよ?」


 途端にサーッと青ざめた千鳥は息をのんだ。それだけは勘弁してもらいたい。まだ自分は13歳である。ろくな恋愛もしたことがないのに、名前と顔くらいしか面識のない男子と結婚など願い下げである。柾彦は苦笑した。「つい昔」までは千鳥の年齢の少女など次々と嫁いでいったものだが。


「でも、父様よ?私がいなくなったらそのまま話を進める人よ」
「3年間、私にお任せください。お約束しましょう、私がこの婚約をお止めしてみせます」


 柾彦の言葉に、千鳥はぽかんとしてから目元を和ませた。ゆっくりと首を振って、彼女は言う。


「だめよ、そんなことして父様に逆らったりなんかしたら、柾彦、名も姿も取り上げられて使役に戻されちゃうわ。私のためにそんな無茶しなくていいのよ」
「・・・・・・千鳥様」


 柾彦は瞠目して、生まれる前から知っていた少女を見た。意志の強い空色の瞳に光が灯る。空の色をその目に持つ者が、古から伝わる夕蒔家を継ぐものだった。その次期後継者は、立場からはあり得ない言葉を口にした。


「要するに留学中に父様を諦めさせる方法を考えればいいのよね。そうね、恋人でも作っちゃえばいいんじゃない?」
「・・・は!?」
「あら意外?3年もいれば恋人くらいできるわよ。いくら父様だって遠い外つ国じゃ私の行動を縛れるとは思えないわ。つまりは好き放題できるってことよ!よく考えたらすごいことじゃない?」


 そう言って目をキラキラと輝かせ始めた千鳥は、うきうきと自らの計画を語り始めた。柾彦は唖然とそれを見詰める。これでよかったのだろうか。

 しかし、と柾彦は思いなおした。そう簡単にいくだろうか。政略結婚を諦めさせるとなれば、つまりは別の結婚相手を見つけるという意味で。それだけの覚悟がある相手を見つけるしかない。学生の軽い恋愛で「結婚」にまで繋がるとは思えない。




―――――結局、柾彦のその考えは見事に裏切られることになった。





*





「・・・・・・あー・・・。盛大な歓迎ってとこね」


 寮の自室は他に5人の同学年の少女たちと共同なのだが、それはもう見事に用意されたはずのベッドにはデコレーションが施されていた。ぱっと見で10を超える多種多様な蛇がとぐろを巻いていたり、一体全体なにがしたいのかよくわからないが柱の上から雨が降っていたり、オーソドックスに布団が引き裂かれていたりとよくもここまで、と千鳥はむしろ感心した。手間がかかったろうに。

 クスクスと笑い声が起こるが、千鳥はそれを軽く聞き流して印を組んだ。突然早口の日本語を発し始めた留学生の姿に、さすがのスリザリン生もぎょっとする。千鳥が唇を閉じた瞬間にすっかり綺麗になったベッドを見て、周囲は沈黙した。


「Good night♪」


 にっこり笑って千鳥はベッドのカーテンを閉めた。これくらいの意地悪なら可愛いものだ。普段から家では修行と称したアレコレを受けまくっているので、正直言って打たれ強さになら自信がある。そこそこ上手くやっていけそうだなあなんて呑気に思って、そのまま彼女は眠りに落ちた。




 数日後。
 スリザリンに入ったことで他寮に友人などできないと思っていたが、どうやらスリザリンがどうとかよりも「留学生」という事実のほうが珍しく興味を誘ったようだった。そもそもスリザリン生から明らかに迫害を受けているのが傍目からでもはっきりと伝わったようで、その分周囲は千鳥に対して優しい。予想外の反応に軽く戸惑いを覚えつつも、好意はありがたく受け取ることにしていたら友人は思っていたよりも多くできた。


「ほんとに千鳥ってスリザリンっぽくないわ。グリフィンドールに来てくれたらよかったのに」
「レイブンクローでもよかったわよ!」
「ハッフルパフも忘れないでねー」


 笑う少女たちはすっかり千鳥に懐いていた。どうも姉のような存在と思っていてくれているらしい。そんな彼女たちのおかげで発覚したのは、千鳥の仲良くなった同じ寮の「トム・リドルについて」。彼についてふと口にした瞬間、怒涛のように話し出した少女たちに思わず千鳥の目は点になった。


「別名・月のプリンス!」
「つ、月のプリンス??」
「そう呼んでるのはごく少数だけどね。勉強もできてスポーツも悪くない、おまけに顔がいい!そして何よりあの影のある表情。スリザリンなのに誰にだってわけ隔てて優しいの」


 優しい?あいつが?思わず耳を疑いたくなりながら千鳥は黙ったまま話に耳を傾ける。上っ面だけの薄っぺらい笑顔、ふと見せる冷たい目。それを、優しい、と言ってのける少女たちに千鳥は背筋がうすら寒くなっていくように感じた。なんだ、この違和感は。


「でもでも、私、グリフィンドールの太陽の王子様のほうが好きだなー」
「えー?あいつタダのバカよ」


 ハッフルパフの少女がうっとりと呟いて、勝気なグリフィンドールの少女は納得いかない風に首を傾げた。いきなり登場した人物に、慌てて千鳥は口を開く。


「ちょっと待って、何者?その太陽の王子様なんてアホらしい呼称のヒトは」
「ああ、ウォルス・っていうウチの寮の女好きよ。成績優秀でクィディッチのキーパー。容姿も金髪に青い目で、おまけに底抜けの自信過剰で豪快かつ明快」
「ちょうどトム・リドルと対照的な美形なの。だから、太陽の王子。ブロンドのようだけど全然違うキラキラした金髪が、とっても素敵なの〜」
「・・・・・・・・へぇー・・・・・・・」


 アホか。完全に目をハートマークにした少女を見ながら心の中で呟く。


「じゃあ私、これから魔法薬のレポート書かなきゃいけないから寮に戻るわね」
「あ、そうなの?」
「またね、千鳥!」
「それじゃあねー」


 手を振る友人たちに手を振り返して、千鳥は踵を返した。そして階段を昇り始めて、ふと何かを感じ取って立ち止まった瞬間に階段が大きく揺れる。慌てて手すりを掴んだが、あまりの速さに手がもたない。


「・・・ッ!?」


 流石に階段が動くのは予想外だった。印を組もうとしても手を離している余裕がない。とにかく千鳥は必死で階段にしがみつこうとしたが、大きく振れた次の瞬間、ずるり。と手が滑り落ちた。


「あ、きゃ、―――――ッッ!!」


 空中に投げだされ、床にたたきつけられるのを予想して、千鳥は強く目をつぶった。


「――――――ぐえっ!!」
「・・・!?」


 予想していた痛みは全く感じず、代わりに自分の下から聞こえてきたのは踏みつぶされた蛙のような声。慌てて千鳥は体を起こした。


「いってえ・・・!!」
「ごめんなさい、大丈夫?」
「ヘーキ。魔法が間に合わなかったオレがかっこわりィだけだし。それより、平気か?」
「私は平気。それより、」


 貴方のほうが怪我をしているに決まってるじゃない、と続けようとした千鳥を遮るように、下敷きとなった少年は笑った。その鮮やかさに思わず千鳥は言葉を失う。


「よかった。驚いたぜ、留学生」


 光を受けてきらきら輝く髪に、深い海色の瞳。ウォルス・と名乗った少年は(まるで本当に)太陽のように笑った。

















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