蝉が鳴く声が日に日に増えていく。
 夏がもうすぐ、終わる。




 141.





「お疲れ様です、様」


 ぐったりと縁側に倒れこむオレに、タオルと冷えたサイダーを持ってきてくれるのは征彦だ。その優しげな笑みに思わず泣きそうになりながら、タオルを手に取る。水で冷やして絞ってあり、とても気持ちいい。


「あ゛――――づ――――い゛―――――!!!!!日本ってこんなに暑かったっけ!!?」
「イギリスの夏は乾燥していて過ごしやすいですからね。日本は湿度が高いんですよ」
「ほんとそれ。暑い。ニホンアツイ。ジャパンツライ」


 思わず片言になりながらオレはごろごろと縁側を転がった。タンクトップにハーフパンツ、これでもかっていうくらいに肌は露出しているし、髪は短い。要は限界まで身に纏うものを削っているはずなのにそれでも暑い。


「ここは聖域ですから、下よりは涼しいんですよ」
「うそー……」


 でも確かに温度計はまだ三十度には達していないし、近くを流れる滝や竹林から流れてくる空気はひんやりとして心地よい。
 いかにイギリスの夏が涼しいかを思い知ったような気分でオレは空を仰いだ。だけど、あっちではほとんど目に出来ない鮮やかな青い空はとても気持ちがいい。四季美しい日本ならではだ。


「はい、様、サイダー水です」
「わーい!」
「オイコラ征彦、甘やかすな」


 呆れた顔でオレを眺めるのはじいちゃんである。今日は村さんが忙しく、当主じきじきに修行を見てもらうことになった。相変わらず霊力が極端に低いオレが、どうやったら初歩中の初歩の護法が出来るようになるか、つきっきりで見てくれている。
 ただ、場所が庭なのだ。だだっぴろい日本庭園の一角で汗をだらだらと零しながら、ただただひたすらに真言の音読である。疲れたし、暑いし、暑い。


「まあまあ、兼昌様もどうぞ。タオルとサイダー水です」
「……。うむ」


 暑さにはじっちゃんも敵わないのか、冷えたタオルを受け取って気持ちよさそうに息を吐いた。
 征彦はにこにことオレ達をみている。ピシリと着たスーツに汗染み一つなく、また汗を全くかかずに涼しい顔をしているのを見てなんだか羨ましくなる。


「征彦はそういう、暑いのとか感じないの?」
「いえ、感じることは感じるのですけれど、汗をかくことはありません。必要ないですからね」
「ふーん……」


 千年にわたり夕蒔家に仕えている征彦の正体は妖怪である。具体的にどんな妖怪かまではあまり知らないけれど、とにかく人ではない。


「よし、休憩も終わったな?始めるぞ。
「うええええじいちゃんマジ元気なんだけどなんなのほんとに七十越えてんの」
「お前が軟弱なんじゃ馬鹿もん」


 


*





「…………ほーお、全く物騒なやっちゃなぁ」


 普段は飄々と笑みを浮かべる瞳を凶暴に光らせて、オレは腕を組む。
 Tシャツにジーパンと身軽な服装だが、これが現在の陰陽師の普通の姿だ。昨今、狩衣やら巫女服のような動きづらい恰好で仕事を行うものなどほとんどいない。夕蒔次期当主であるからには、公の場に呼ばれる際はもちろん正装をするのだが、そうではないときは至って動きやすい恰好をとる。


「よくこんな遠いとこまで来たのう。ま、そんだけあの子が欲しいか」


 妹を頼む。
 真剣な目で言う、日本人と英国人の両方の血を継ぐ又従兄の男の姿がよみがえる。
 仕方ないなぁと息を吐きながら、しかし俺は口元に笑みを浮かべた。
 アオトが頼ってくれるようになったことは、嬉しい。


「っちゅーことで、張り切ってるんで。俺、いま」


 透き通るような深海の色をした瞳、濡れるような黒髪。細身だがしっかりと鍛えられた体躯。そんな彼と最初に出会ったのは数年前にさかのぼる。そして何より、最も契機だったのが――――三年前だ。
 ぼろぼろで、傷ついて、死にそうになりながら、縋ってきた彼が。
 いま、何より大切にしているものが、たった一人の妹だ。


はなあ、アオトの大事な大事な妹やけど。俺にとっても大切な又従兄やしなあ。随分久しぶりに会ったけども、あの笑顔が変わってなくて安心したわ」


 しみじみと俺は言いながら呟いた。兄妹とはいえ髪も目の色も異なり、一見全く似てないように見えるあの二人は、実はそっくりだ。表情や、目つきや、行動の仕方。仲の良い兄妹だなあ、と思う。
 だからこそ。


「俺は、容赦しないで」


 ぐげげげげ、と不快な声をもらしながらうぞうぞと蠢くディメンター、吸魂鬼とかいうらしい異形を見下ろして、俺は口元に笑みを浮かべた。


「おうおう、そう動いても無駄やで。まあ話は通じへんやろけど」


 不動縛で作り上げた結界をぎゅうぎゅうと締め付けさせていく。


は渡さん。アオトもや。――――俺の身内に手ェ出すもんは、許さん」


 帰って主にそう伝えろ。
 背後にいた気配が消えると同時、俺は吸魂鬼にとどめを刺した。


「…………アオト」


 お前があの子を大事に思っているのと同じくらい、あの子もお前を大事に思っているんだぞ。
 どうか、それだけは。








←BACK**NEXT→






140706