ザァザァと降りしきる雨の中、僕は帰りを急いでいた。もう夜も遅い。防水の魔法をかけているおかげで濡れているわけではないのだけれど、早く帰りたいのは言うまでもなかった。帰ったら熱いホットチョコレートでも飲もうかな。シリウスが聞いたら本気で引かれるかもしれない、だなんて考える。おいしいのにね。もったいない。

 ふと前のほうで、真っ暗闇の中で壁によっかかりながらしゃがみこんでいる人影を発見する。びしょびしょのようだ。傘も何もささずに、どうやら魔法すらもかけずに、頭を抱えるようにして、ただそこにひたすら座り込んでいる。その長い黒髪(もちろん濡れそぼっている)にどこか見覚えのある印象を受けて、僕はその人影の前でゆっくりと足を止めた。


?」


 ぴくん、と肩を震わせて、彼女はそろそろと顔を上げた。白い頬に雨粒が容赦なくふりそそぐ。呆然とした瞳に僕が映った。綺麗な飴色の、うっすらと赤いその瞳は、昔憧れた時のまま同じ色をしていた。瞬間的にフラッシュバックを起こしそうになる。それを押しとどめたのは他でもない、彼女の声だった。


「リーマス・・・?」
「ずぶぬれじゃないか、ほら」


 一度首を振ってから、すっと手を差し出す。は少しためらってから僕の手をつかんだ。手は凍るように冷たかった。そっと立ちあがらせると、案外の何の抵抗もなくは僕の前に立つ。懐かしいその目線。少しだけ下にあるその顔。卒業した時から僕も彼女も身長の変化は特にはないらしい―――当然だろう、あれからまだ1年しかたっていないのだし、成長期はとうに過ぎている。とはいえ僕はまだ伸びていると思っているのだけれど。はゆっくりと口を開いた。


「リーマスは・・・どうして、ここに」
「これから家に帰るところなんだよ。たまたま通りかかったんだけど・・・一緒に来る?」


 この天気の中、夜中に女性1人は危ないよ。

 しばらく考えた末に彼女は首を縦に振った。その瞬間、僕は杖を一振り、彼女に防水魔法をかける。今さらかもしれないけれど。濡れた姿を乾かしてあげようかとも思ったけれど、僕は自分の上着を脱いでの肩にかけるだけでとどめた。なんだか濡れたがっている様に思えたからだ。小さく俯いたその手を取る。小さかった。こんなに小さかったっけ。軽い目眩を覚えた。そして同時に泣きたいくらいに切なくなった。小さな子供みたいな手が、ひどく、冷たい。





*




 家に着くと流石にそのままで居させるわけにはいかないので、タオルと着替えを渡してバスルームに通した。女性の服を簡単に手に取るわけにもいかず、濡れたの服は後で自分で乾かしてもらうことにした。杖を持っていないわけではないらしいし。小さくありがとう、と言って(その時仄かに笑ったのが分かった)彼女は廊下の奥へ消えていった。ふう、と息をつく。

 昔から。そう、昔から夢の中で生きている様な、そんな子だった。ホグワーツにいたころの自分と彼女を思い出す。付き合っていたわけではない。いや、もしかしたら付き合っていたのかもしれない。互いに好きだと確認したわけではないのに、何故だかいつも一緒にいるようなそんな、関係。ふわふわと曖昧で、でもぬるま湯の中にいるような、そんな心地よさの中で、まどろむ様な、きっとこの先も何も変わらない。そんな確信があった。


「・・・弱かったんだなあ」


 昔の自分に向けて苦笑する。何故あのとき想いを告げなかったのだろう。なにも変わらないという保障なんかどこにもなかったのに。ゆるやかな時の中におぼれて、その先の彼女を失ったのは自分自身だった。


「リーマス?」
「あ、。大丈夫?」
「うん」


 湯を浴びてほかほかと湯気を上げる彼女は、さきほどよりもかなり落ち着いた様子だった。着ているのは僕のパジャマなので、案の定大きいのか裾も引きずり腕もまくっている。タオルを差し出されたときに手に触れた。ふわりと人の体温を取り戻したことにホッとする。交換するように、彼女の分のホットチョコレートを手渡した。


「よかった、温まったみたいだね」
「うん」


 そう言って、だけど彼女はやはり目を伏せた。チョコレートのマグを握って、僕の座るソファの横にほんの少しの距離を置いてすとんと座る。シャンプーの香りが鼻をかすめた。自分の家の物のはずなのにたまらなく魅惑的に感じる。


「・・・きかないんだね、リーマス」
「・・・」
「どうしたの、って―――訊かないんだね」
「・・・・・・、
「―――ありがとう」


 ちらりと僕を見上げるように言ったは泣きそうにわらっていた。だけど僕は、訊かなかったんじゃなくて。訊けなかったんだ。訊けば君が変わっていったことを、変わったことを知るのが怖くて。あのころとかわらないままだと信じたくてたまらなくて。後悔するのも傷つくのも嫌で。君のためを思ってした行為なんかじゃなく僕自身を庇護するためだったんだ。それを知ったら君はなんて言うのだろう。だけれど僕は何も言わずに、どういたしまして、と言って精一杯に優しくわらった。














ノンシュガー・チョコレート



(口付けたチョコレートはひどく苦かった)







091217


















 おかしいな、お題の「捨て猫」消化のつもりだったのにいつの間にこんなことに・・・。