迫ってくる闇に苦しくなってきて私はそのまま目を閉じる。そうするとまぶたの裏でさえも闇がどんどんと侵食してくるようで耐えられなくなって結局また私は目を開けるのだ。堂々巡り。それはずっと前からもう理解していた。その闇から逃れるすべなどもう私には存在しないことも。生きているのか死んでいるのかそれすらもだんだんと分からなくなってきて、私は自分自身の存在というものを信じられなくなっていくのだ。


 過剰すぎる、とかつて文句を言ったことがある彼女の家のセキュリティはまたレベルアップしていたようで、私だけが知っていたはずの数々のパスワードや解除方法を全部終えてもまた出てきた見たことのないロックに、少しため息をついた。職業柄警戒するのは仕方ないとはいえ、彼女の場合は少し異常と言っても遜色ないほどだ。「パスワードの入力をお願いします」と感情のない機械音が繰り返す声に、今まで使ってきたパスワードから推測した言葉「北の猫は虹に落ちる」(かなり希少な漫画本のタイトルだ)(彼女の場合、本の題名やら漫画の題名やら演劇の題名やら、と言ったものが比較的多かった)を使ってみて、数秒の沈黙の後「パスワードは間違っています、あと一度入力に失敗すると侵入者排除システムが稼働します」という言葉が繰り返される。さてどうするか、と唇を舐めた。時間制限や一発間違いで侵入者排除システム、が稼働するようなプログラムにはなっていなかったらしいことにやや安心した。あるレベルのものなら壊してしまえる自信はあったが、そんなことはしたくなかったし壊したくもなかった。そう思うと自分の行動はいささか軽薄だったように思えたが。

 がたん、と中で何かが動く気配がした。そのまましばらく待ってみると、がちゃりと鍵の開く音がしてギィ、と扉が開く。さらりと長い青色の髪が零れる。


「ああ、ごめん、クラピカ」
「いや。―――しかし、また増やしたのか?」


 セキュリティ、と言う前には緩慢な動作で首を縦に振った。眠そうなその目で、先ほどまで確実に睡眠をとっていたことが伝わって少し申し訳なくなる。しかしそのまま彼女は仕草で中に入れ、と指示する。頷いて玄関に入ってドアを閉めると、オートでがちゃがちゃピコン、とロックがかかり、それを興味の無さそうに眺めて、それからは私を見た。


「≪零≫の方で新しいキーロックのネタが入ってね。いつも使ってるヤツより軽めなんだけど、一応試しておこうかと思って取りつけてみたわけ。一回間違えただけじゃなにもないんだけど、それ以降はとんでもないことが起こるらしいよ。試さなくて良かったね、クラピカ」
「とんでもない?」
「ん。よく知らないけど。クラピカなら壊せちゃうかもしれないからそういう意味でもよかった。アレ結構高かったんだ」


 高い、だなんて年収億単位を軽々超えている女がなにを言うのか。≪零≫というのはハンターとしての彼女の本業で情報屋だ。というよりはなんでも屋と言いなおした方がいいのではないかと常々思うそんな商売である。私もしばしばお世話になっているし、腕前はかなりのもので認めざるを得ない。金がかかっていれば法に触れることも軽々やってのける。こないだ調べればお尋ね者になってたくらいだった。その実態がこんな細身な少女だと知っているのはどれだけいるのだろうか、そんなことを思っていたらはすでに部屋の奥へと足を進めていて、私を振り向いて不思議そうな顔をした。苦笑を返して私も彼女に続く。


「寝ていたのだろう?すまない」
「いい、別に。平気。結構寝たから。あ、そのシャツとって」
「これか?」
「そう」


 ふぁ、とあくびをしながら独り暮らしにしては大きいベッドに座って手を掲げるに、ソファに放り投げてあった薄い色のシャツを投げた。ベッドは起きた直後のままで毛布や布団がめくられている。その上に無造作に座りながら、は唐突に着ていたTシャツを脱ぎだす。かといっていつものことだからもう慌てることもない。私はその隣に腰をおろした。


「もう少し恥じらうとか、一人で着替えるとか、そういった考えはないのか?」
「いいよ、クラピカだもん」
「・・・それはそうかもしれないが」
「え、なに?恥ずかしがってほしかった?なら出てく?」
「・・・・・・遠慮する」


 廊下に続くドアを指さすは、私がそう返すところころと笑った。呑気なやつだ。細い腰に丸い肩、どこからどう見たって必要とあらば人を殺すような女には見えない、けれどそのギャップにまた惹かれるのだった。今の彼女からは想像もできない冷たい感情のない瞳で次々と人を人で無いものへと変えていくその指、手、足、口。人は誰でも狂気を持っているとどこかで聞いたことがあるが、確かに私には狂気(復讐とひとことでは言い表すことはもうできない)を持っていてそして彼女もまた持っているのだ。その根源が何かとは言い切れないのだが。


「で、どうしたの」
「特に何も」


 訪ねた用を問う青色の瞳に映る自分を見る。そのまま引き寄せられるようにして唇を合わせてベッドに倒れこんだ。まだ日は高くさすがにそんな気分にはなれず、ただ二人揃ってベッドに寝転んでいるだけだ。に関して言えばまだ眠そうにしていて正直な話、色気のかけらもない。


「珍しいね、用事も何もないのに訪ねてくるの」
「たまにはいいだろう?」
「うん、悪くない」


 生意気な返事に、再び唇をふさいだ。不意に小さな殺気のようなものを感じて離れようとした瞬間に鋭い痛みが伝わる。


「ッ痛?」


 べぇ、と舌を出すの額を一度叩く。自分の唇に触れれば真っ赤なモノが指についた。意外と出血しているらしい。じとっとその目を睨めば、おかしそうに笑う視線が返ってきた。なんて奴だ、けれどそんな彼女に惚れたのは自分だった。


「鉄の味。痛い?」
「ああ」
「同じことしていいよ、」


 言われるまでもなく私は彼女と三度唇を重ね、力加減に苦労しながらその薄い唇に噛みついた。ん、と小さく声が漏れて、真っ赤な鮮血が滴る。


「痛い」
「だろうな」
「おなじ、だね」
「ん・・・?」














(おなじ、あじがする)
(いきてるね)









(貴方も私も生きているのよと呟く君に感謝のキスを)











 唇にきず





090511