親愛なる

大嫌いなローズへ









 つん、とキツい香りが鼻をついた。瞬時に私の気分が急降下していく。みるみるうちに不機嫌な顔になっていく私を、目の前で教科書をテーブルの上に開いたリリーは頬杖ついて眺める。はぁ、とため息が彼女の唇からもれて、その細い綺麗な指先が私の眉間へと伸びた。



「可愛くないわよ、その顔」
「どーせ可愛くないですよ」
「あのねぇ、」



 リリーがなんと言おうとしたかはわからなかった。なぜならかしましい甲高い女の子の黄色い声がここまで聞こえてきてリリーの言葉を遮ったからだった。苛々と羽ペンの先で羊皮紙を刺すと、黒いインクのしみが広がりつつ後ろに貫通した。ぱたりと黒インクがテーブルの上へ落ちる。そしてほら、またあの香り。大嫌いよこんな匂い。ああもう腹が立って仕方ない。

 でも、生憎とこのレポートの提出日は明日だった。私はリリーやジェームズ、ほらあのたった今、綺麗な長い金髪の彼女といちゃいちゃやってるシリウス・ブラックとか?みたいに優等生でも要領がよくもないから、いつもいつもいつだって前日に慌てて資料を集めて必死で書くことになっている。いつものことだ。そしてリリーに「もっと早くやりなさいよ」と言われてジェームズに「丸写ししないんだから偉いと思うよ僕は」とフォローされてシリウスに「ただ単に後回しにするのが悪いんだろ」とけなされる。そのいつもが崩れたのはつい最近だった。かといってシリウスは今付き合っている女と別れればまたサイクルはもとに戻るのだろうけれど。サイクルが崩れるのはこれが最初ではない。もう何度だって崩れて元に戻って、を繰り返している。



「ああ、もう、集中できないっ!」
「部屋に戻る?」
「・・・そうしようかな」



 資料と羊皮紙とインクと羽ペンと、とにかく全部の自分の持ち物を集めてひとまとめにして、私は席を立つ。図書室はもう夜だから閉館しているし、寝室なんかより談話室のほうが格段に勉強しやすいのは分かっているけれど、ここにいると苛々が募るだけなのはもう明らかだった。女子寮の階段目指して歩を進めていたその時、ちょうどシリウスと金髪彼女のいたソファの目の前で、私の羽ペンが滑り落ちる。「あ」両手がふさがっていて羽ペンはそのまま、私とシリウスと金髪彼女が見ている前で絨毯の上に落ちた。軽くため息が漏れる。ああ、めんどくさい。

 とか思っているうちに動いたのはシリウスだった。虚を突かれたように呆ける金髪彼女、それと私。え?え?混乱する中、彼は普通に、ほんとうに普通に私の羽ペンを拾って私に差し出す。そして私が受け取れないのに気付くと両手に積まれた本の上にそっとそれを置いた。



「あ、ありがと」
「おう」
「いいの、彼女?」
「・・・はあ?彼女いるからって落し物を拾っちゃいけないのかよ?」



 変な顔をしてシリウスは私を見下ろす。ああ、背、高いなあ。



「お前レポート、終わった?」
「ううん、全然」
「だからいつももっと早くやれって言ってんだろ」
「わかってるっていつも言ってるじゃん」
「はいはいそーでしたね」
「いいもん今晩ひとりで頑張るから」
「おう頑張れ頑張れ」
「なによシリウスなんか再提出になっちゃえばいいんだ!」
「ないないこのオレがそんなんになるわけないだろ」
「自信過剰男!」
「わかったわかった。じゃ、頑張れよー」



 軽く笑って踵を返して、ソファでむくれそうになっている金髪彼女のもとへと彼は帰っていく。そのときふわりと感じたのは、いつもの深く優しい、少し石鹸と汗とインクと火薬(悪戯で使ってるからでしょうけど)の混ざった独特の心地よい香りと、それを覆い隠すような強いバラの香りで、私は鼻の奥がどうしてもつんとするような気がしてたまらなくなって女子寮への階段を駆け上った。嫌い。大嫌い。シリウスの香りを消してしまうような、隠してしまうような、この香りは大嫌い。長い金髪の彼女の姿が目の裏に浮かんだ。この艶やかなバラの香りは確かにあのひとにぴったりだ。でもお願い、シリウスまであなたの色に染めないでください。













(きらいなの、私の知ってるシリウスじゃなくなってしまうみたいで)

090829
090923 改題 きらいなもの→親愛なる大嫌いなローズへ