ずいぶん前からオレたちが座る席のすぐ後ろを陣取る女がいた。黄色のネクタイ。レイブンクローだから合同授業の魔法史と呪文学と薬草学のときくらいしか顔を合わせない、なのにどうしてか妙に印象に残る女だった。理由は特にわからない。ただ、いつも顔を真っ赤にしながらぜいぜいと肺に悪そうな呼吸をしているのが気になった。廊下ですれ違ったりたまに見かけたりするときはそんな特徴のありすぎる呼吸をしているのは見たことがないのに、なぜか、魔法史の授業のときだけまるで全力疾走してきたかのような。ビンズの授業なんて遅刻しようがサボろうが何も影響ないような気がするから、もっとゆっくり来ればいいのだ。


「――――あのねぇ、パッドフット?」


 なんて話をジェームズにしたら、たちまち呆れかえったハシバミ色の瞳が返ってきた。なんだよ。やれやれ、なんて大げさに肩をすくめて見せたジェームズはオレをちらりと見る。


「乙女心がわかってないねえ」
「はあ?」


 人目をはばからずリリーに言い寄るこの男に、「乙女心がわかってない」などといわれる筋合いはない。少なくともこいつにだけは一番言われたくない。不機嫌を隠そうともせずに睨むが、ジェームズはまるで懲りる様子もなくけろりとしたままだ。


「きっとその子、好きな子がいるんだよ」







「おいおいおい、大丈夫なのかよ・・・」


 真っ赤な顔をしてそのまま倒れてしまった女を、さすがにそのまま無視するわけにもいかなくて、結局オレが医務室まで運ぶことになってしまった。そして成り行きでそのままオレは授業をさぼっている。まぁ、別にそれはいいんだが。むしろラッキーなのだけど。

 改めて自分が担いできた女を眺める。よく見ればかわいいような気がするが、別にどこにでも転がっていそうなレベルだ。長い髪がシーツの上に広がっていて。一昨日まで付き合っていた女とどちらがマシかだなんて考えて―――少し自己嫌悪に陥る。嫌なことを思い出した。ベッド脇の小さな水入れに軽く八つ当たりをして水がこぼれた。かしゃん、と華奢な音がして、それに反応するように女が瞼を震わせる。


「・・・ん」
「おはよう」
「・・・・・・・・おはよう・・・」


 ぼうっとした瞳がオレを映す。それから数秒間呆けていた女は、瞬間的に目を剥くとそのまま一気に顔を赤くして硬直する。


「ひええええええええシリウス・ブラックうううううう!!!???」
「そうだけど」
「いやあああああああああああああああ!!!!!!」


 いやあのさ、人の顔を見て「嫌」って叫ぶってどうなんだ。唖然とした顔で沈黙を返すと、さすがにその無礼さに気づいたらしい女は、顔を真っ赤にしたまま慌てて頭を下げる。


「ごごごめんなさい!」
「ああ、・・・別にいいけど」
「いやあの私、私、びっくり、しちゃって!ごめんなさい!というかここ医務室!?魔法史は!?授業は!?私、寝てた!?ええ、どうしてブラックがここに!?」
「・・・・・・・・」
「待って待って今何時!?何時!?私何時間寝てたの!?てかどうして寝てたの!?覚えてない!なんで!?」




「・・・くっ」




 目覚めたと思ったらいきなりめまぐるしい速さでしゃべりだして混乱し始めて。それがなんだかとてもおかしくて。オレは思わず吹き出していた。いきなり笑い始めたオレを見て、自分の行動のおかしさを少しは理解したのか、女は唐突に慌てるのをやめた。真っ赤だった顔がさらに赤くなっていく。そろそろ湯気でも出るんじゃないかこの女。


「・・・・・・わら、わないで、よ」
「・・・無理・・・ッ、ふはっ!」


 恥ずかしさのせいか涙でいっぱいの瞳がオレを見る。潤んだ淡い緑色の瞳に、女と対照的に笑いすぎで涙の浮かんだオレが映る。その瞳がきらりと揺れて、オレはなんだかとても愉快な気分だった。呼吸がおかしい無礼な慌て者、容姿は人並みレベル。なのになんだか気に入った。「名前は?」「・・・」レイブンクローの変なヤツ。こんな女が恋する相手。とてつもない好奇心に襲われながら、オレはその女の名前を心に刻みこんだ。そんなことをしなくったって、彼女の名前は頭に焼きついてしまったのだけれど。













覚醒してから30秒

(数分で変わった関係に祝福を) (ただの顔見知りから卒業したのよ!)







090828