ふわりと漂う甘い香り。感じるだけで幸せになってしまいそう、そのはずなのに私の心はいつまでもぐずぐず、ただただ沈んでゆくばかりだ。特製のカフェ・オレの温かさはナミのつくるオレンジみたいな色したカップを伝って私の両手も温める。口も付けずにそうしたままイスに座って、キッチンのなかのいつもの彼の場所を眺めた。一日のうちの七割くらいはこの場所にいることが多いのに、今は甲板でナミかロビンの姿でも追っているのだろう、しんとした静けさがおいしそうな香りの代わりにこの場を支配していた。


「・・・ばぁか」


 なんでああ、いっつもいっつも。女の子の後ろ姿ばっかり追うんだろうか。どーせ私は彼にとって、たくさんいるレディーの一人でしかないんだろうし、特別な女の子であるわけない。わかってるはずなのに、どうしてこんなに辛いんだろう。みるみるうちに冷めていくカフェ・オレがなんだか可哀想で、でも自分で勝手に作ったくせにどうしても飲む気になれなくて、結局私はそのままじっとカフェ・オレの水面を見つめていた。映る、泣きそうな眼をした女の子は叶わない恋に心が折れそうです、神様。・・・ああ、ルフィがぶっ飛ばしちゃったんだっけ。

 とんとん、と軽い足音。ぴくんと肩が反応して、私は慌てて笑顔になろうと頬をひっぱった。つづいて開くドア、顔をのぞかす金髪の、彼。


「・・・おー?ちゃん!?どうした?」
「ん、ちょっとのどがかわいちゃって。ゴメンね、勝手にキッチン借りちゃった」
「ああ・・・悪ィな、席外しちまってて。おわびに、姫?桃のチーズケーキなんていかがですか?」
「え、ほんとに!?食べます!」


 おおせのままに、なんて笑って、彼は鮮やかな手つきで薄桃色のかわいらしいスイーツを切りだしてささっと盛り付けて(ただ皿に乗せるだけでなくて、瞬時に濃色のクランベリー・ソースをかけて、ついでにそのままハートまで描いちゃうなんて、さすがだ)サンジくんは私の手元にそれを置いた。それから、すっかり冷えたカフェ・オレを紳士のような手付きでとりあげる。口をつけていないのが丸わかりなそのカップを彼は思案気な瞳で見つめた。


「・・・飲んでねェだろ?どうしたんだ?」
「えっと・・・作ったんだけど、やっぱりサンジくんの作るほうが美味しいなあと思って」


 我ながら都合のよい答えが口から滑り出て、サンジくんは、少し沈黙した後「嬉しいこと言ってくれるじゃねェか」なんて言ってニヤッと笑った。うまくごまかせたことにホッとする。だって、言えるわけない。女の子を追うサンジくんを想像してたら飲む気なんて失せちゃった、だなんて。そうしているうちに彼はコトリとそのカップをおいて、身を翻して数秒、ほわほわと湯気の立つカフェ・オレを新しいカップに注いで持ってきてくれた。


「ハイどうぞ、お姫様」


 そんなこと言うからなんだかドキドキしちゃって、でも「ありがとう」っていつものように笑って、私はそのカップを受け取った。甘い香り、手に伝わる暖かさ。でも明らかに違う、濃厚な感覚。ああ、確かに、サンジくんのつくったものだ。さっきはあんなにためらったのに、簡単に口をつけたカフェ・オレは、ふわりと香って、それからじん、と体に伝わった。


「・・・美味しい」
「それはよかった」


 顔をあげた私は、にこりと笑う彼と目が合って一瞬顔が熱くなるのを感じてそして、サンジくんの手に持つ「それ」を見て目を剥いた。


「えっ!?ちょっと待って待って待ってそれは――――」
「ん?」


 いたずらっぽく笑う彼に私は慌てた。だってもうそれはとっくに冷めきってて、そもそも名コックの彼なんかに飲ませちゃいけないもので、こんなに美味しいカフェ・オレを作っちゃうサンジくんが飲むなんて、そんな、あ!


「あー!!」


 焦る私を尻目に、サンジくんは問答無用でカップを口につけた。そのままぐいっと冷めきったカフェ・オレを飲み干して、それからとろけるような笑顔で。


「ごちそうさま。美味かったよ」
「・・・嘘ぉ」


 冷えたカフェ・オレなんて美味しくないに決まってるでしょう?肩を落とす私に、サンジくんは楽しそうに笑みを唇に乗せたまま、不意に私をひっぱった。突然過ぎてとまどうことすら出来ずにいると、彼は私の耳元に唇を近付けて―――


「     」


 真っ赤になって固まった私を一人置いて、サンジくんはキッチンから去ってゆく。誰もいないキッチンで、もう一度カフェ・オレに口づけながら、彼の飲みほしたカップを見つめる。私の一口を待つケーキは、何も言わずに、でもまるで、なにもかもわかっているかのようにたたずんでいた。ああ、どうしよう。私はもう、この恋を、簡単には終わらせることができないみたいです。











カフェ・オレに蜂蜜を

(そっと口に含んだそれは、私の大好きな蜂蜜の香りがこっそりと紛れ込んでいました)
(あァ、好きな子の好物くらいお見通しさ!)













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110319 cafe au lait → 改題:カフェ・オレに蜂蜜を