まっすぐに描かれていく線から生まれていくのは無限の命で、だけどそのどれもに既視感を覚えてそのたびにひとつ息が苦しくなっていく。ひとつ、ふたつと肺の奥に飲み込まれていく堪えようもないそれは、まるで首を真綿で締め付けていくように思えた。描く線も色も点も、芽吹いていく描かれていく命をともし始めるそのすべてに既視感は宿る。私はなんだろう。私ってなんなんだろう。指先から生まれるすべてが、ああ、これは、私じゃない。別の誰かだ。白の海のなかに描かれようとしていた黒の軌跡の上に、ぱたりと横たわる。ころころと指の中から、デッサン用の鉛筆が転がっていった。

 ころころ、ころころ。転がっていくそれを無感情に見つめていると、見慣れた黒い靴にぶつかって鉛筆は静かに動きを止めた。寝転んだままゆっくりと視線を上にあげると、黒い髪とその合間からバンダナ、そして闇よりも深い夜色の瞳が私を捉える。相変わらず、彼は髪を下ろすと童顔である。


「・・・何をしている?」
「きゅうけい」


 そう答えると彼は嘆息して足元のデッサン用鉛筆を拾い上げた。興味深げに荒く削られた芯を眺めるクロロ・ルシルフルのその姿が綺麗に絵になっていて、もうこのまま貴方が作品になればいいじゃないかとつくづく考える。絵に描いたものがリアルになる、私の能力であってもこんな人は絶対に生み出せない。


「続きを描かないのか?」
「だから、休憩」
「数時間前から一向に進んでいるようには見えないが?」


 クロロは、鉛筆を眺めながらひとりごとのように言葉を発した。私はその言葉を掻き消そうと出来る限りに声を張り上げる。休憩だ、休憩。まるで自らに言い聞かせるかのようにも思えて、たまらなくみじめな気分になる。能力に興味をもたれて監禁されているのに、ここでスランプになったなんて言えるわけがあるだろうか。否。殺されるに決まっている。なんせ相手は天下の幻影旅団である。私みたいなしがない絵描きの少女なんて敵うはずがない!心の中で発した問いは簡単に答えが出て、私を追い詰めた。それでも描けないものは描けないのだ、どうしろというのだ。

 ごろんと寝返りを打つ。真っ白な紙はどうやらこの男が用意したもので、四角い部屋いっぱいに広げてあってもはや床が見えない。そもそも私はただの売れないしがない絵描きだ。初めこそ思う存分に絵が描けると聞いて(お金も底を尽きていたし、とうとう私にもパトロンが!と小躍りせんばかりに喜んだのに!)心は躍ったものの、こんな軟禁状態とは聞いていない。そりゃアイデアも底が尽きるというものだ。


「ふむ。しかし、。お前の能力は面白いな」
「うん?」
「面白いじゃないか。あの生き物はなんだ?」


 くつくつと喉を鳴らしながら、心底楽しんでいるような声の主は部屋の隅を指さした。そこには、鉛筆の線と思わしき黒い輪郭の生き物が、楽しそうにころころと踊っている。折れそうに細い輪郭を揺らしながらひょいひょいと踊る彼らは私が描いたものだ。


「ラクガキ」
「ほう」


 キッパリと言い放ち私は『それら』から視線を外した。私の描く絵は次から次へと具現化し、現実になってしまう。本当に『なんでも』。ただし、全てが具現化する代わりに描いた絵と全く同じサイズ、質感、色だ。つまり所詮は絵の質感のまま。どんなにリアルな恐竜を描いたとしても所詮は絵。本物にどんなに似せて書いてもどこか薄い、非立体的なのだ。無論、あくまでも本物に近い偽物を作ることは出来るけれど、それも私の画力次第。おまけにただのラクガキであっても簡単に現実となって紙から抜け出して遊びに行ってしまう。私にとってしてみれば作品が勝手に一人歩きするわけで、迷惑なことこの上ない。いつのまにか宿っていたこの能力が念と呼ばれるものだと知ったのもつい最近である。


「ねえクロロ」
「なんだ」


 ガラス玉のように美しい瞳はいまだに私の生み出したガラクタを追っていた。興味深そうに細められた瞳には確かに楽しんでいる色があって、悔しいけれどその色を綺麗だと感心せざるを得なかった。闇の中から溶け出してきたような黒いスーツに黒い髪。どこまでも白い部屋とのコントラストが生まれる。


「私は――――」


 クロロはそうして漸く私を見下ろした。吸い込まれてしまいそうな夜色の瞳は、黒いけれどそのなかにいくつもの色を含んでいる。そうして含んだ色を全て吸い込んで飲みこんでしまうのだ。ああそうか、私は知っていた。もうとっくに飲みこまれていたのだから。

 なんでもないと首を振り私は再び鉛筆を握りしめた。投げ捨てられていた絵具を掴む。走り出した線を追う視線を意識しながら私は薄く笑みを浮かべた。こうしているときだけ、私は彼を独り占めできるのだろう。きっと、彼に飽きられるそのときまで。

















或る夜色に囚われた絵師の譚
(ほんとうにとらわれていたのはどっちだったのか)
(きみ、それはだれにもわからないよ!)








131012